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電気自動車の歴史


 

電気自動車の5度目の波

これまで電気自動車は、幾度も原油供給不足や政治的な局面で、需要が見直されるものの、性能面の欠点と、依然として高いガソリン需要の壁によって、興起を阻止されてきました。
近年、改めて電気自動車が注目されつつまりますが、これまで実に4回も見直されては消えてを繰り返してきました。そして今回が5回目の興起になります。
電気自動車が誕生したのは、1839年に英国人のロバート・アンダーソンが作りました。
エンジン車が誕生する、47年前です。しかし、実用化するにはまだまだ課題がありました。そして、1873年に実用的な電気自動車が誕生します。1899年4月29日ベルギー人のカミーユ・ジェナッツィが運転した「ジャメコンタント号」は105.92km/hを記録。ガソリン車よりも静かで、扱いやすく、故障もすくない電気自動車はその後、全盛期を迎えます。これが1回目の波です。
20世紀になって電気自動車は勢いを失いました。ヘンリーフォードが1909年、電気自動車の半値のT型フォードを発売。自動スターターの発明、大量生産、ガソリンの値下げでした。消費者の需要は一気にガソリン車に傾き、一方バッテリー交換や充電の面で欠点のあった電気自動車は、1920年頃には、ほとんど姿を消しました。
2回目の波は、第二次世界大戦後、ガソリン供給が間に合わず、電気自動車が見直されました。1943年には電気自動車の保有台数は3299台で、全自動車保有台数の3%あり、現在よりも保有率は高かったのです。その後ガソリン供給が安定してくると電気自動車は姿を消しました。
3回目の波は、70年代の2度にわたるオイルショックで、通産省(当時)の指導で、多くのメーカーが電気自動車の開発に着手しました。結局日の目こそ見ませんでしたが、今日の電気自動車の礎となりました。
4度目の波は、90年代後半にアメリカカルフォルニア州のZEV規制法案をクリアするためにトヨタ、ホンダ、日産が電気自動車の開発を行い、販売しました。トヨタはRAV4をコンバートしてRAV4EV、ホンダはEVプラス、日産はプレーリーとジョイとルネッサをコンバートして電気自動車にしました。
しかし、当時の電池が高額だったことや、ZEV規制の基準が厳しすぎて、州とメーカーとの紆余曲折があり妥協案を模索していくなかで、結果、州がメーカーに折れた格好となり、ZEV規制も後退し、電気自動車も回収され、電気自動車はまたしても消えてしまいました。
そして現在、5回目の波が到来しています。過去の4回の波で、性能面や価格面の欠点は、その後飛躍的に技術革新され、一時のブームで終わることはありません。しかも、地球温暖化や石油枯渇問題などもはや猶予がありません。ということで、今回こそは、電気自動車の普及推進に大いに期待できると思われます。

カルフォルニアのZEB規制法案について

アメリカカルフォルニア州でガソリン車の出す排気ガスにより、大気汚染、スモッグにより、ロサンゼルス群に住む15歳~25歳の1/4にの肺機能障害が慢性呼吸器疾患がみなられなどの重大な健康被害が報告されました。調査した結果、1990年にはスモッグ注意報が41回も報告させており、1リットルガソリンを燃やすのに、2.3キロの二酸化炭素が発生します。これは、公衆衛生の危機であり、このまま対策を打たなければ、地球温暖化が進むと州政府は危惧しました。
そこで1990年、州政府は州内で自動車を販売しているメーカーに対して、2003年までに年間販売台数の10%を無公害車つまりZero Emission car(排ガスゼロの車)とするよう義務付けるZEV法案を制定しました。これを受けて、自動車メーカーは、電気自動車の開発に着手。そして、GMが約1世紀ぶりにコンセプトカー「インパクト」を原型としたEV1が生まれました。その後、メーカーも後に続けてとばかりにガソリン車を改造しました。トヨタはRAV4をコンバートしてRAV4EV、ホンダはEVプラス、日産はプレーリーとジョイとルネッサをコンバートして電気自動車にしました。
電気自動車は一部の人には熱狂的に受け入れられた。カリフォルニアとアリゾナ州で1200台が販売され、長いウェイティングリストができる状態だった。

参入障壁

発売当時、EV車の一部の反響はよかったものの、懐疑論は否めなかった。
充電所を課税するを反対した消費者団体が続出。特に石油会社は断固反対し、大々的にネガティブキャンペーンを行いました。自動車メーカもZEV規制を達成する事が、難しくなってきました。そしてメーカーと州政府が妥協案を模索した。
そして、「需要がなければ、電気自動車を作らなくてもいい」という結論になりました。
一部の消費者はEV車を望んでいましたが、メーカーは消極的になって生産ラインを縮小しました。

連邦政府(ブッシュ政権)の取り組み

連邦政府(ブッシュ政権)は、10億ドルの予算を計上し、燃料(水素)電池車の研究に取り組みだしました。現実的には、燃料(水素)電池車の実用化は、課題は山積で、実用化まで20年かかるとも言われているのにもかかわらず、連邦政府は、燃料電池車に莫大な金がつぎ込まれている。
さらに連邦政府(ブッシュ政権)はSUVを推奨し、景気刺激策として、税制優遇され、燃費の悪さをガソリンの安さで補い、メーカーはSUV車を大量に売り、一時的に大儲けしました。

リコールされスクラップに!

最終的に、州政府(大気資源局)の会議で決定されることとなり、大多数は電気自動車を支持したにもかかわらず、少数のメーカー側の意向に傾いた。結果、ZEV規制は廃案になりました。
そしてカルフォルニアのZEV規制が全州に普及するのを制圧しました。
その後、GMのEV1をはじめ、他のメーカーも片っ端から電気自動車を改修し、街から電気自動車が居なくなりました。
(参考:誰が電気自動車を殺したか(Who Killed the Electric Car?)より)

 

グリーンニューディール政策

前任のブッシュ大統領は就任早々京都議定書からの離脱を宣言し、地球温暖化を否定してきました。しかし、世界的に環境意識が高まる中、自動車産業に衝撃が走りました。2008年9月にリーマンショックにより、アメリカビッグ3の2つGMとクライスラーが経営破たんするという未曾有の事態が起こりました。
それに加え、数年来続いていた原油価格の高騰により、各国は石油依存への脱却を本格的に模索しだしました。そして次世代の自動車ビジネスに遂に乗り出します。
エコに消極的だったブッシュ政権から、オバマ政権になってからは、経済の建て直しと、雇用の促進のために「グリーン・ニューディール政策」を推進。これにより日本やヨーロッパ諸国もエコカー減税や、バッテリー電池の開発を本格的に始動しました。
そして、アメリカの基幹産業である自動車産業の復活につながる中長期的な政策にシフトいたしました。ビッグ3は電気自動車の対応が遅れがちですが、逆にテスラモーターズ社などを代表されるEVベンチャーがとても勢力的に伸びています。
今後、テスラモーターズ社のようなEVベンチャーが大変革を起こすかもしれません。
そして、アメリカ政府も莫大な補助金を用意して電気自動車の開発に資金を投入して、起死回生を狙っています。

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2011年5月9日

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